孤高の無所属

先日、20年以上ぶりの友人と会った

あることがきっかけでテキストをくれて
ワーキャーと懐かしみつつ話はトントンで進み
テキストが5往復する頃には
2週間後にランチをすることが決まった😂

20年以上のブランクはなんだったのかと思えるスピード感🚀

これまで長く秘書をしていたので
職業病で表向きはいくらでも社交的に振舞うことができる

でもプライべートでは
友達が多いほど幸せと思っているタイプではなく
フットワークが軽いわけでもなく
人が集まる場所が特別好きというわけでもない
どちらかと言うと一人で自由にフラフラしていたい🎈

にも関わらず
その友人とはサクサクと話を進めたのは
彼女が私にとって少し特別な存在だったからだ✨

何が特別かと言うと
その友人の結婚が決まった時に話していたことが
20代の私の結婚観に大きな影響を与えたのだ

結局その後も私は結婚していないわけだけど
少なくとも今日までの人生で言えば
それは私らしい選択だったと思う

そして今そう思えるのは
人生の途中途中で岐路に立った時に
その友人の結婚が決まった時にした話が思い出されて
私はどう生きたいかなと冷静に考えることができたからだと思う

そんなこんなで
今回は友人のお店セレクションで
六本木のステーキハウスで再会した🥩🍷

私は行ったことがないお店だったので嬉しい

ちなみに鉄板焼きで言うと
私の推しは表参道の「うかい亭」である(‘ω’)ノ

友人とは久しぶりと思えないくらい話が弾んで
美味しいお肉も堪能して
とても楽しい時間を過ごすことができた

でも、なんだか不思議な感じがする

FIREするまでは
私の周りに結婚を機に仕事を辞めた友人がほぼいなかった
いなかったというよりも
関心のある話題や会える時間帯が違すぎて
自然と疎遠になってしまったのかもしれない

でも会社を辞めてからは
これまで会えなかった友人が喜んで声をかけてくれる

すごく嬉しいことなんだけど
でも冷静になることもある

友人の多くは子供がある程度手が離れ始めている
むしろ子離れすることに葛藤していて
自分の時間を持て余しているように感じる

それなので平日の昼間に会えて
普段のママ友とは違った面白い話が聞けるかもしれない
私のようなシングルの友人は大歓迎なのだろう

しかしこういう場合のシングル女子は
自分がなぜ呼ばれているのか
十分に心しておかなくてはならない(‘ω’)ノ

声をかけてくれる皆さんに全くそんなつもりがなくても
ピエロ🤡か客寄せパンダ🐼のような気持ちになってしまう時があるのだ

それなので
私はなるべくこれまで通りの生活に努めている
つまり時間的に会えるからというだけの理由で
これまで会わなかった友人と会うことには慎重になっている

今回会った友人は私の中で特別なのだ

友達って大切な存在であるけれど
時にはちょい残酷な存在でもある

私が自分の生活を充実させるために
無意識に誰かに対してそうであることもあり得る

その友人は昔から社交的なので
「先日行った○○会社のパーティーで再会した男性たちと
今度飲み会をしようって話になっているから来てよ😃
Rは楽しいしきっとみんな喜ぶから😃😃」
とお誘いしてくれた(‘ω’)

しかし私は〇〇会社とはほぼ何の関係もない
その上メンバーは男女とも既婚者である
その友人はこれからも大事だけど
その飲み会はお受けできないお誘いである🐼

つまりお断り案件である(‘ω’)ノ

結婚はある面から見れば窮屈だし
独身生活はある面から見れば孤独だ

それぞれ備わっている性質のひとつだから
受け入れることが賢明だと思う
それをなんとか埋めようとするからおかしいことになる

シングルでさらにFIREもした私は
どこの社会にも属さない謎の生き物になったとも言える

もちろんそれが私の説明の全てではないけれど
ある面ではそういう社会的位置づけを自覚しないとなのだ

孤高の無所属として自分の足でしっかり立っていないと
せっかくの自由が他の人の余興になってしまう

自由に生きるというのは割と大変なことなのだ

誰にでもできることではないから
人から見ると眩しくも見えるかもしれない✨

眩しい✨分だけその裏で背負っている覚悟もある

簡単ではないからこそ
自由は尊いのだと
改めて意を決するのであった(‘ω’)

ではまた👋

ー R

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